老剣士の掛け声 岡本先生
老剣士が剣道を始めたのは中学生になってからの事でした。
3年生の時、高校に上がった先輩がやってきて「俺の高校へ来い」って誘われ、その気になって猛勉強しなんとか先輩と同じ高校で剣道の稽古が出来るようになりました。
そこには岡本先生と言う方が剣道部顧問としておられましたが竹刀を振っておられたわけではなく、先生直伝の教え子がこれまた母校の教師でおられその方から老剣士は教えを受けました。水島先生と言います。
岡本先生は当時まだ剣道を引退されたわけではなく、難波の養成館で指導しておられました。高校は水島先生に任せたので口出しは一切しないと決めておられたようです。
ご出身は武道専門学校。戦前、武道の指導者を養成する学校で京都にありました。西の武専、東の高師(東京高等師範学校。現つくば大学)、と並び称され剣道指導者はもちろんの事、その指導を受けた多くの著名な門下生が生んだ学校です。
戦後、戦争に負けたのが原因で武道専門学校は廃校になり、昭和27年サンフランシスコ条約が結ばれ日本が独立するまで剣道は活動禁止状態でした。
その時岡本先生は、
高校3期の先輩から聞くところによると「サッカーの顧問」をしておられたようで、数十年後剣道大会で先生を見かけられ「剣道部の顧問の先生だったのか」と大変驚いたと聞きました。
しかし、剣道活動が再開したとき、高校総体の剣道部門第1回大阪府予選大会が母校で開かれたことを思うと剣道復興にかなり尽力されたのではないかと思います。
老剣士にとって岡本先生は孫弟子にあたりますが、直伝の諸先輩は厳しく基本を叩き込まれ、そしてその諸先輩から「武専の流れを汲む、正統派剣道」として恥ずかしくないようにと厳しく教わってきました。
母校剣道部卒業生は今多くの道場で指導員として活躍しています。
老剣士もまた、剣道を教えるのではなく、岡本先生の教えを引き継ぎ伝えることを念じて子供たちと稽古しています。
もう、亡くなられて随分と年月が経ちました。
先生は「剣道とは」と聞かれると即座に「即人生」と答えられたそうです。
「剣道即人生」。万年片思いの剣道人生であってもこの言葉、
老剣士にとっても含蓄ある言葉です。
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