剣道の特性
突然ですが、
剣道はどういうものかというのを
私の考えを交えながら
簡単にではありますが、
記していきたいと思います。
剣道は心身を鍛え、技を磨き、
工夫と研究をして、
成功と失敗を繰り返し、
そうして身に付けた実力を
競い合う競技の一つです。
刀に見立てた竹刀を用いて、
定められた部位を打ったり、
突いたりすることを一本として、
その腕前を競い合う
スポーツ的な要素を含んでいます。
それだけなら、野球やサッカーなどの
他のスポーツと大きく変わりません。
しかし剣道は、
それだけではありません。
剣道は言うまでもなく、
日本刀という刀剣を用いて戦った
剣術から由来していることは
皆さんもご存知でしょう。
ルール無用の戦の場で生き抜くために、
技を磨き、心身を鍛えたものが、
現代の剣道に繋がっています。
そして、日本刀という刀剣は、
現代では一般的に
所持することができない
大変危険な物ですが、
日本古来の物で、
その形状の美しさや切れ味から
伝統芸術として残されています。
その日本刀の扱い方、
剣道の礼法や作法も、
武士の時代から続く
日本古来の伝統文化なのです。
つまり、剣道は、
スポーツとしての側面を持ちつつ、
日本の伝統文化としての側面も
持っているのです。
そして、もう1つ。
剣道は武道です。
そもそも武道とは何か?
簡単にいうと武士の道です。
武士として恥ずかしくないように
誇りを持って歩む道(生き様)が
武士道だと思ってくれて構いません。
武士は食わねど高楊枝
身は捨てても名利は捨てず
という言葉があるように、
武士は立派な人でありたいと
体面を気にする部分がありました。
これは、新渡戸稲造の著書である
「武士道」によると、
戦の場で命を掛けて戦う相手への
敬意の表れだと記されています。
そして、それは自分自身のためでもある
とも記されています。
命を掛けて戦い、
敗れた者は命を失う。
その極限の状態の中でも、
こんな立派な人に敗れたのなら
仕方ないと思えるように、
また、こんなヤツに命を奪われたのかと
惨めな気持ちになることがないようにと、
切った相手のためにも、
またいつ切られるとも知れない
自分自身のためにも、
立派な人であろうとしました。
これは、言わば武士の誇りです。
先ほどは、
戦の場ではルール無用と記しましたが、
実はルールがないだけで、
後ろから斬りかかったり、
不意討ちや、奇襲などは
卑怯だという考え方は
この時代からありました。
生と死が隣り合わせの
極限状態であっても卑怯なことをせず、
正々堂々と戦うのが武士の誇りであり、
それが武士道の考え方であると
私は思っています。
もちろん、ルールがない訳ですから、
後ろから斬りかかったりする者も
いたに違いありません。
それでも、
自身は卑怯なことを行わず、
その卑怯に屈することのない
強さを身に付け、正々堂々と戦う。
そして、戦っているときだけではなく、
日常の生活においても、
立派な人であろうとする。
それもまた、剣道であると私は思います。
スポーツとして、勝った者が強いと考え、
何としてでも勝ってやろうとするのも、
日本の伝統文化として、
刀法や礼法、作法を重んじるのも、
また、武士の時代から続く
武士道の考え方を重んじるのも、
すべて剣道です。
それぞれの考え方や、
価値観の違いはあると思いますが、
何れにしても、
瓜破剣道会の剣士諸君には、
誇りを持って
修錬に励んで欲しいと思います。
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